昭和駅今昔 [回顧編]
遠征してバカスカと撮り鉄すればBlog更新も調子に乗ってやるものの、このところ遠征も無く
「旅先鉄」はうっちゃったまんまなのでありました。
そんな中 ドゲンカセントイカン と考えた挙句、旧Blogのネタなんぞ引っぱり出してみるのでした。
というコトで、ジャ~ン 鶴見線 1978年3月 vs. 2007年6月 比較 なのであります。
それにしても昔の写真を見ると、何でそ~いう風に撮っちゃったかなぁ ┐(´д`)┌ なんて写真ばかりなのであります。
上のクモハ73を含む3連も、電柱の位置とか全くお構い無しですもんね。 しかも、この中間には希少改造車
モハ72970 (旧国に103系のBodyを乗せたヤツ) がいて、もっとそれと判る様に撮りぁ良かったのに と後悔しきり...
ところで、2007年に訪れてみておどろいたのは軌道上の雑草の多いコトでありました。 合理化の影響?
やはり、こんな焼直し記事などではなく、積極的撮り鉄などやってみよう と思う次第なのでありました。
「旅先鉄」はうっちゃったまんまなのでありました。
そんな中 ドゲンカセントイカン と考えた挙句、旧Blogのネタなんぞ引っぱり出してみるのでした。
というコトで、ジャ~ン 鶴見線 1978年3月 vs. 2007年6月 比較 なのであります。
それにしても昔の写真を見ると、何でそ~いう風に撮っちゃったかなぁ ┐(´д`)┌ なんて写真ばかりなのであります。
上のクモハ73を含む3連も、電柱の位置とか全くお構い無しですもんね。 しかも、この中間には希少改造車
モハ72970 (旧国に103系のBodyを乗せたヤツ) がいて、もっとそれと判る様に撮りぁ良かったのに と後悔しきり...
ところで、2007年に訪れてみておどろいたのは軌道上の雑草の多いコトでありました。 合理化の影響?
やはり、こんな焼直し記事などではなく、積極的撮り鉄などやってみよう と思う次第なのでありました。
在りし日の日立電鉄 (其の七) [回顧編]
まさに実物版 "地鉄電車慕情 宮下洋一さんの世界" の様な日立電鉄
その個性的な電車群の中で、小生イチバンのお気に入りは ↓ コレでした。
http://blade-runner-2.blog.so-net.ne.jp/archive/20090628
先にココ↑でも記しておりましたが、相鉄からやってきた元モニ。
モニからモハにしてしまったところがイイ (^^) たしか中央の両開扉は片方を締切としていたんだっけな
その元モニのモハの相方となっていたのがコレ↑
17m級旧国の様な窓扉配列ですが、はたして出自はどこだったのでしょう...?
小出しに出していた日立電鉄編でありましたが、そろそろネタ切れであります。 失礼しやした~
その個性的な電車群の中で、小生イチバンのお気に入りは ↓ コレでした。
http://blade-runner-2.blog.so-net.ne.jp/archive/20090628
先にココ↑でも記しておりましたが、相鉄からやってきた元モニ。
モニからモハにしてしまったところがイイ (^^) たしか中央の両開扉は片方を締切としていたんだっけな
その元モニのモハの相方となっていたのがコレ↑
17m級旧国の様な窓扉配列ですが、はたして出自はどこだったのでしょう...?
小出しに出していた日立電鉄編でありましたが、そろそろネタ切れであります。 失礼しやした~
在りし日の日立電鉄 (其の六) [回顧編]
いつの間にやら成人の日が固定日(1/15)の祝日ではなくなり、年始早々に三連休が頂ける暦となりました。
御蔭様で陸海空の軍モノ撮影に勤しむことが出来た三日間でありましたが、、、、撮り鉄はトントご無沙汰なのであります。
新ネタが無いので、今年二十歳を迎える若者たちが生まれた頃よりもチョイと前に撮った写真を引っぱり出して
みたのであります。 時は1990年7月、場所は茨城県日立市。 今は亡き日立電鉄の鮎川駅であります。
↑ 何ともトボケた顔だちの電車でありました。 一方では、こんな無骨な顔だちの電車もいたのでした。↓
感覚的にはそれほど大昔という感じがしないのですが、実のところはヒトが成人するくらいの月日が経っているのですね
全然関係ないケド、とりあえず祝成人 (^^)
以上、1年以上前に ↓ こういう記事を載せて、その後うっちゃっておりましたが一応続編というコトで
http://blade-runner-2.blog.so-net.ne.jp/2009-07-01
御蔭様で陸海空の軍モノ撮影に勤しむことが出来た三日間でありましたが、、、、撮り鉄はトントご無沙汰なのであります。
新ネタが無いので、今年二十歳を迎える若者たちが生まれた頃よりもチョイと前に撮った写真を引っぱり出して
みたのであります。 時は1990年7月、場所は茨城県日立市。 今は亡き日立電鉄の鮎川駅であります。
↑ 何ともトボケた顔だちの電車でありました。 一方では、こんな無骨な顔だちの電車もいたのでした。↓
感覚的にはそれほど大昔という感じがしないのですが、実のところはヒトが成人するくらいの月日が経っているのですね
全然関係ないケド、とりあえず祝成人 (^^)
以上、1年以上前に ↓ こういう記事を載せて、その後うっちゃっておりましたが一応続編というコトで
http://blade-runner-2.blog.so-net.ne.jp/2009-07-01
牛久保駅 in 1978 (その2) [回顧編]
冬晴れの続く関東エリアであります。
快晴だと撮り鉄よりもヒコーキ撮りを優先させてしまって、引き続き新ネタが無いのであります。
そこで回顧編。 http://blade-runner-2.blog.so-net.ne.jp/2010-11-10 の続編なのであります。
1978年の夏、旧国に揺られて辰野から南下してくる途中、お目当ての流電には一向に出会わない....
ヤバイ 流電には会えないのか などと心配しながらも、先の記述の通り牛久保駅で途中下車。
其処で過ごしていたところにようやく流電登場!! この時はうれしかったなぁ
ご覧の通り クモハ52+サハ87+サハ75+クモハ52 という豪華な編成でした。
お金は無かったけど自由な時間だけはあったあの頃。 もっと粘っても良かったのに、結局こんだけしか撮ってないのでした。
今よりも淡白だったのか、Film代が無かったのか....
快晴だと撮り鉄よりもヒコーキ撮りを優先させてしまって、引き続き新ネタが無いのであります。
そこで回顧編。 http://blade-runner-2.blog.so-net.ne.jp/2010-11-10 の続編なのであります。
1978年の夏、旧国に揺られて辰野から南下してくる途中、お目当ての流電には一向に出会わない....
ヤバイ 流電には会えないのか などと心配しながらも、先の記述の通り牛久保駅で途中下車。
其処で過ごしていたところにようやく流電登場!! この時はうれしかったなぁ
ご覧の通り クモハ52+サハ87+サハ75+クモハ52 という豪華な編成でした。
お金は無かったけど自由な時間だけはあったあの頃。 もっと粘っても良かったのに、結局こんだけしか撮ってないのでした。
今よりも淡白だったのか、Film代が無かったのか....
牛久保駅 in 1978 (その1) [回顧編]
久々の旧国回顧編なのです。
先にご紹介した北松本支区編と同じく、これまた同じ大糸線・飯田線巡り旅で撮った数コマであります。
時は1978年7月下旬、梅雨が開けご覧の通りの夏の空。 場所は飯田線の牛久保駅であります。
伊那市あたりで一泊した後、豊橋に向かって5時間ほどスカ色旧国に揺られ、豊橋駅目前となるこの牛久保駅で途中下車。
目にしたのは留置線で休憩中のクモハ54、クハ68の"半流型"を両端に置いた美しい編成でありました。
豊橋方のクモハ54の次位には、サロ75から3扉・普通車化改造されたサハ75がおりました。
辰野方にはクハ68。 丸みが美しいのであります。 この頃 1/80のペーパー・モデル作りにのめり込んで
おりまして、これらクモハ54・クハ68などは格好のネタなのでありました。 "いさみや"さんのペーパー・キットとかね
そしてサハ75の手前にいたのが、このクハユニ56 ↓ 後ろにいたサハ75を挟んだ編成はいつの間にやら移動してます。
小生、この様な旧国や10系気動車等に見られた合造車がたまらなくスキなのでありました。 ついぞ撮ることは
ありませなんだが、クモハユニ64なんて形式車はもうサイコーの存在でありました。
でも、あれほど恋焦がれていた旧国なのに、飯田線watchingは後にも先にもこの一回位こっきり。
お金は無かったけど、今よりも自由に時間を使えたあの頃。 もっと撮り鉄にのめり込んでいれば、スンゴイ記録写真の山になっていただろうに....
先にご紹介した北松本支区編と同じく、これまた同じ大糸線・飯田線巡り旅で撮った数コマであります。
時は1978年7月下旬、梅雨が開けご覧の通りの夏の空。 場所は飯田線の牛久保駅であります。
伊那市あたりで一泊した後、豊橋に向かって5時間ほどスカ色旧国に揺られ、豊橋駅目前となるこの牛久保駅で途中下車。
目にしたのは留置線で休憩中のクモハ54、クハ68の"半流型"を両端に置いた美しい編成でありました。
豊橋方のクモハ54の次位には、サロ75から3扉・普通車化改造されたサハ75がおりました。
辰野方にはクハ68。 丸みが美しいのであります。 この頃 1/80のペーパー・モデル作りにのめり込んで
おりまして、これらクモハ54・クハ68などは格好のネタなのでありました。 "いさみや"さんのペーパー・キットとかね
そしてサハ75の手前にいたのが、このクハユニ56 ↓ 後ろにいたサハ75を挟んだ編成はいつの間にやら移動してます。
小生、この様な旧国や10系気動車等に見られた合造車がたまらなくスキなのでありました。 ついぞ撮ることは
ありませなんだが、クモハユニ64なんて形式車はもうサイコーの存在でありました。
でも、あれほど恋焦がれていた旧国なのに、飯田線watchingは後にも先にもこの一回位こっきり。
お金は無かったけど、今よりも自由に時間を使えたあの頃。 もっと撮り鉄にのめり込んでいれば、スンゴイ記録写真の山になっていただろうに....